Oahuはこれから訪れることが多くなるとおもっている場所ですが、とはいっても、自分の場所はBig Isleにあり、どの島に行こうとも、ハワイ島は自分の場所という気がします。
ハワイ島は田舎かもしれませんが、
田舎にいくと、人の優しさを感じるときがあります。
人の優しさに包まれれば、自分も優しくなれます。
自分が優しくなれるから、他人にも優しくなれます。
そんな人との出会いが必要だと持っています。
そして、自然に感謝をして、自分らしさを磨いていくこと。でしょうね。
一方、では、「優しさ」とは、ダラダラとニコニコして「いいよ、そんなの、ほっといて。」
というのは、優しさではないはずです。単なる怠け心。
その人のことを想い、導くこと。時に耐え、時に、厳しいこともあるでしょう。それこそが優しさです。
このハラウが、なぜ、レイメイキングやチャント、カヒコ、ハワイ語といった、フラの基本的なことを重視するか、それは、気持ちの浄化、フラに対する感謝の気持ちを磨かなければ、心からあふれ出る気持ちを伝えることができないと、考えているからです。振り付けは、あとから、沸いて出てくるものです。
昨日、イオラニパレスに行ってきました。ただ行くのではなく、もちろん勉強として、2時間近いガイド付きツアーにKamaaina(ハワイに住んでいる人)の料金で割引で参加。
ツアーはとても、勉強になり、(ある程度の知識を持っていたからかもしれませんが)、予備知識がると、その知識が線でつながるような感じで、あっという間。全く飽きることがなかったガイドツアーははじめてかも。
ガイドさんに
「このLili’uokalaniの退位の事変についてのガイドを、ハワイ人以外および日本人以外の人たちにするとき、その人たちはどういう風に思うのですか?」
と質問をしましたら、その答えは、
「きっと、あたりまえの出来事としておもっているんじゃなぁい?」
との弁。
もし、「ハワイ人のAlohaの心」と「日本人の神道や仏教のような感謝の心」が、同じような感覚を持っている(私はそう思う)としたら・・・。
皆さんは、イオラニパレスで、何かを感じるかもしれません。