「ブーム」とか「流行」という言葉がありますが、この場合、必ず「流行り廃り(はやりすたり)」があります。先日も、広告会社の方から、「いまはフラがブームですよね・・・。すごいですね・・・。」と弁。
ハラウケアバホウは、ハラウを「ブームだから」という理由で、開いているわけではありません。例えば、お寺巡りがブームだからといって、お寺の数が増えるわけではありませんよね。
ハワイでは…
「今年はフラのブームだから」といって、ハワイのハラウが増えるわけではありません。それにハワイでフラのブームというものはありません。
フラは生活の一部なので、日本で言うと、例えば、護国豊饒を祈願すること、節句というものがあり、節分、ひなまつりなどと同じような、生活に密着している生活環ですので、行いそのものに、流行り廃りはありません。「今年は節分がブーム」という言葉はありません。
もし、今日本で「フラブーム」とするなら、ブームが終わったら、フラ人口は減るでしょう。でも、Keawahouはなくなりません。そもそも、ハラウはブームで動くものではありません。
しかし、日本をはじめとした諸外国の場合、ハワイやフラに興味を持つ方が増えることは良いことで、裾野が広がることは、ひいてはハラウの運営にも間接的に良い影響があるものと思います。フラに興味がある人は、とにかく1度触れてみてから、考え方、生活環の中にフラの考え方を取り入れられるかどうか、を考えてみるとよいでしょう。
ケアバホウの考えるフラとの向き合い方は、「本質を理解する」こと。その本質については、ハウマナに少しずつ伝えながら、学ぶ機会を与えて行きます。しかし、フラの本質を最初から理解できる人はいません。ですので、ハウマナになった段階で最初の段階で、フラを学ぶための方向性だけ導いていきます。
他のハラウでフラを経験された人の場合、フラに関する知識をいくつか持っていたとして、Keawahouの方向性と異なる方向性を指し示していた場合は、素直に、フラにかぶれることなく、方向性を修正できるまで待ちます。できない場合は、残念ながら一緒に歩むことはできないかもしれません。
たとえば、Mele Kahea に Mele Komoで答える。プロトコールはハウマナの当然の知識です。
ハワイにはたくさんのKumuがいます。Kumuとは先生のこと。しかし先生という資格はありません。国家資格で「あなたはKumu」というものはありません。もちろん民間の資格にもありません。
なので、日本で考えられている「先生」という定義は、日本の「フラの先生」という言葉には当てはまりにくいのです。この定義に捕らわれると、どうしても「フラを教えることを業として、その対価を現金化する人」となってしまうため、拡大していくと商業的な要素が大きくなってきます。
ハラウが大きくなると、Kumuの役割、指導の内容も忙しくなります。それは必然で、普段の仕事との両立ではなく、フラの活動を主たる経済活動としているKumuも多くいます。フラの内容も然り、人間性も然り。ハウマナにとって、そのハラウに居ること、そのKumuに習うことが自分の誇りとなるようなハラウです。
一方、商業的な要素だけが拡大すると、生徒の奪い合いとなります。これは実際ハワイでもこの現象は起こっていますし、日常の仕事を持っていないKumuに多く起こっているようです。近年日本人の生徒を募集しているハワイのハラウでは、とても顕著のようです。私の知っているハワイ島のKumuの中には、日本人からフラでの収入源を大きくしてしまったKumuで、高額な授業料を提示する「フラの先生」になってしまったKumuも非常にたくさんいます。でもそれもフラなのですから、仕方ありませんね。ハワイのKumuは、日本の「フラの先生」同様、様々です。
私が尊敬しているKumu達は、その知識を分け惜しみなく、ハウマナにシェアしており、ハウマナが将来クムとなったとき、それを伝えることを善としています。しかも、その活動は伝統の芸能であり、金銭的な負担を求めない。
また、Kumuも成長を続けているので、いくらKumuの知識を習得しようとしても、Kumuは常にその上にいるので、絶対に、Kumuを超えることができない。Kumuよりも上手になることはない。
私もそんなKumuの域に達していません、ハウマナとともに、常に成長を続けたいと思う。
どのハラウの、どの先生に習いたいのか?
どういうスタンスでフラと接していきたいか?
何を学びたいか?
費用は妥当か?
いろいろと、可能性を考えてみてはいかがでしょうか?
写真はKukanilokoの入り口。王が生誕する地。ここから、新たな歴史がスタートします。Kakuhihewaのように・・・。
ホノルルより。